市河 恭齋 いちかわ きょうさい
   

東風吹斗柄
暖津美巌凝
艸色迷殘暁
溪流帯斷數
兒書春日○
○剪上元燈
莫笑蒲龕睡
山翁怯歳増
東風 斗柄(北斗七星の第5・6・7星)を吹く
津 暖かく 巌 凝(=ごつごつして)美し
(草)色 残暁を迷い
溪流 断数を帯びる
児書 春日○
○剪 上元の灯
笑う莫かれ 蒲龕 睡(ねむ)るを
山翁 歳増すを怯(おそ)れる
横最長46p

 寛政8年(1796)生〜天保4年6月27日(新暦 1833年8月12日)歿
 幕末・明治の書家・篆刻家。讃岐(香川県)の人で、名は三千、字は桃翁、通称は三千太郎、号を恭齋・古学庵・学古庵などと称した。高芙蓉の高弟である篆刻家稲毛屋山の長男で、備中庭瀬藩に仕えた。
 市河米庵の門に入って書を学び、米庵にその才を見込まれ継嗣がなかったので請われて最初の養子となり、市河姓を名乗った。
性格は温和で人に好かれた。書はとりわけ小楷に優れ、小米と称された。詩文をよくし、篆刻に巧みであった。江戸下谷に住んだ。38歳で夭折した。
 編著に『米庵先生百絶』がある。
 尚、恭齋が若死にしたため、米庵が次ぎに迎えた養子が遂庵。
 引首印は「古学庵」、「恭齋書」の下に、朱文下駄判の「三」「千」の落款印が押されている。

推奨サイト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E6%B2%B3%E6%81%AD%E6%96%8E
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http://www17.ocn.ne.jp/~ya-na-ka/ichikawaKyousai.htm
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